くも膜下出血から命拾い~人生観の変化

ブログ名に似合わずライトな感じの雑記帳です。旅行記、お酒や日常生活、我が家のアイドル・ヨークシャーのお話など

くも膜下出血の顛末、その2

皆さん、こんにちは。

くも膜下出血の顛末、続きです。
クリニックでMRI撮ってもらってからの急展開~開頭オペ~退院までの経過を一気にご紹介します!


2月26日(月)18時過ぎ。
ドクターがMRI画像を映し出しているモニターを見ながら、こちらも見ずに、
Doctor「奥さんは車で来れますか?」
私「ええ、市内で働いてますし、車通勤です」
D「そうですか、すぐに連絡してください」
私「何ですか?」
ドクターが私の顔を見てから、
D「動脈瘤があります、ほらここ、このぷっくりしたコブです。今から近くの〇〇大学病院に行ってもらいます」
私「ええ~~~~~~~~~~、どうみゃく りゅう、ですか」
D「かなり大きいので、危険な状態です。破裂前で本当に良かったですね。頭が痛かったのはコレのせいでしょう」

f:id:Yosshi-karmu:20191115110703j:plainリアル画像。


私「わ か り ま し た・・・・・でも、〇〇大学病院ですよね?ここから車で10分もかかりませんよね、私も車で来ているので自分で行きます」
D「ダメです。すぐに奥さんを呼んで奥さんの車で行って下さい」
どうやら、画像でほぼ診断が付いているので、この状態で患者に車を使わせ何かあったら危険なので車は運転させない、ということのようです。
今日一日中バリバリ働いて、ここまでだって車20分運転して来たのに、、と思いながら女房に電話。
女房が到着。紹介状・診断書・画像のCDディスクが入っていると思われる封筒を渡され、すぐに〇〇大学病院にゴー。

 

同日19時過ぎ、大学病院に到着
大学病院の夜間診察なんて超~激混みです。受付でクリニックからの封筒を出し、順番待ち。「どーなってんだ!いつまで待たせんだぁ~~」とキレるお爺さん。。気持は良くわかります。私は若干の動揺の中、じっと待っていました。女房に詳しい説明もできないので重い空気。。。
するとそこに件のクリニックのドクター。後で知ったことですが、この大学病院の脳神経外科の講師の先生でした。私の顔を確認すると、すぐに窓口に行って、看護婦長を呼び「あのヒト直ぐに診れるように」と指示。速攻呼ばれて診察室へゴ-。
診察室では別のドクターが居ました。「そこに寝て下さい」、診察ベットに寝ました。(実はこの瞬間から、オペが終わって一般病棟に戻るまでの4日間、二度と自分の足では立っていません。待ち時間はベットの上で寝転がり、移動はすべて車椅子かストレッチャーです)
この大学病院の講師の先生が診察済みなので、すでに診断はほぼ付いているんですね、「それでは、これからそのまま緊急入院して頂きます。いろいろと検査もしますので」というようなことを言われた気がします。(ええ~、心の準備なんて皆無!入院の準備も何にもできてませんよ~)
車椅子に乗り診察室出て、とりあえず運ばれたのは、救急車の搬入口、カーテンだけで仕切られた場所にあるベット。救急処置室(ER : Emergency Room)でしょうか。。どうやら集中治療病室のベット準備の間、待たされるようです。
待っている間に数回、救急搬入がありました。外との仕切りの鉄のドアが開くと2月の寒い空気がぴゅ~、そして1回なんか、外傷の患者さんらしく(カーテンで見えないけど)力なく「痛て~、ウゥ~うぅ~」とか聞こえてくるし。。。居るだけでブルーになります。。。
どれくらいしたでしょうか?脳神経外科の集中治療病室 NCU (Neurointensive Care Unit) に移動。あまりに突然のことで職場にもどこにも電話1本架けてない上に、集中治療病室なので、携帯も使用禁止になってしまいました(職場では、無断欠勤&全く連絡が取れない状態が数日続き、大騒ぎになっていたとか・・。なんせ私平日に休むなんて皆無、なんなら土日も結構な頻度で職場に行ってましたから。。ブラック企業か!?)。
このあたりの時間経過は、あまり正確に覚えていませんが、手元に残っている同意書類を見ると、
20時17分に最初の同意書(多分、診察室)
22時58分にNCUに入るための同意書(多分NCUに入った頃)
23時45分頃、血液製剤、麻酔、手術、造影剤の使用などの複数の同意書(NCUの超柔らかいベットと悪戦苦闘中の頃かな)

2月27日(火)朝~
朝から検査が多数、
8時26分、脳血管撮影(DSA)およびヨード造影剤検査の説明
9時55分、腰椎穿刺(髄液検査)についての説明、を受ける。
造影剤を使った脳血管造影撮影、腰椎穿刺も行いました。どうも、軽度に血液が漏れた痕跡を確認するためにいろいろと検査を行っているようです。ベットに寝たまま病室から検査室まで移動、病院の大廊下(一番メインの通路)を右へ左へシャ~。いままで病院でそういうシーンを見て「あの人重傷かな」なんて思っていましたが、まさか自分がシャ~って運ばれる身になるとは、、、
そして2月27日の夜だと思いますが、主治医から明日オペを行うことにしましょう、という提案が来ました。私の場合、カテーテルを使ったコイル塞栓術は不適で、開頭手術、動脈瘤をクリップで止める、クリッピング術になるとの説明!頭蓋骨かち割って(表現が悪い)の手術かぁ~。。なんか恐ろしいですが、術式としては完全に確立しているので、問題はないとの話。
(未だに仕事立て込んでいるので、夏休みくらいに計画入院・オペに出来ませんか、って思っていましたが、画像を見せてもらうと、入院前より動脈瘤コブが大きくなっている感じ、こりゃ延期は無理だ、と断念)

2月28日(水)朝、オペスタート!
 さすがは大学病院、オペ室がずら~とならんでいました。その何号室に入ったか覚えていませんが、入ってみると結構広いオペ室。
 麻酔をかけるためのマスクを装着しようとしていましたが、3日ひげを剃っていなかったので、「これちょっとなぁ~、ひげ剃りますね」といって出てきたのが、電動シェーバーでは無く、歯がむき出しの電動バリカンみたいなやつ、「ええ~オペ室にあるバリカンって、まさか下の方の毛の剃毛用じゃないの!!??」って焦りました。しかも切れ味悪くて、ひげが剃れているというか、引っこ抜かれる感じ。。「うう~ん、だめだな、まっいいか。じゃマスクしますね」。いいんだけどさぁ~、下用(?)のバリカン使ったって事も許すけどさぁ~、今わずかに抜けたひげの破片は大丈夫か~い?これから頭開けるんだよね、、ひげかすが紛れ込んだら術後感染しちゃうんじゃないの~、大丈夫ですか~大丈夫なの~、って思っているうちに「じゃ麻酔しますね、普通に呼吸しててください」。速効で眠りに落ちました。
 「○○さ~ん、起きてください。無事に手術終わりましたよ~」、ええ~自分では、1~2分前に眠りに着いたばかりのような感覚。時間を確認すると、朝10時にオペ室入って、今が夕方6時なので、オペ時間、約8時間。ベットに乗ったまま、またNCUへ。手術室をでると女房の顔。8時間も手術中で心配かけました。。。安堵。。。その日は、NCUにいたと思います(あまりこの辺よく覚えて無くて・・)。

 

3月1日(木)、一般病棟へ移動。
 差額ベット代がちょっとかかりますが、一番小ぶりの1人部屋にしてもらいました。数日は、頭は看護師さんにシャンプーしてもらい、個室にシャワーがあるので、全身は自分で洗っていました。開頭オペしたので、鎮痛薬ももらっていますが痛いは痛い、そこはちょっと辛かったですが、その他は、本当に快適!まさに3食昼寝付き!ってやつでしょうか。個室なのでイヤホンとかじゃ無くて普通に音出してTV見放題(朝からワイドショー、時代劇、昼&夕方の情報番組、夜のドラマ、等)、エレベーターで地下一階に行くとコンビニもあって食事制限はないので、自由に好きな物買って食べ放題(デブるのでそんなには買ってませんが)。シャワー付いているので、好きなときに浴びれる、入院寝間着レンタルしたので、毎日クリーニング済み浴衣が届けられる。
 病院食も3食しっかり出てました。食事は、減塩でも味が濃く出るようにでしょうか、キノコ風味のような味が結構強めに付いていました。最初は違和感ありましたが、慣れてくると問題なし。3食どんぶり飯食べても退院時、体重減っているので、病院食のカロリーコントロールすばらしい!

 

3月7日(水)の夕方、抜糸。
 「もういつでも退院していいですよ」。はやっ!2月28日(水)にオペして、まだ1週間しか経ってません。。3月9日に退院することに。
前日の3月8日に退院に当たっての説明がありました。退院時に、今後生活気をつけることをドクターに聞きました。
私「お酒は?」
Doctor「別に大丈夫ですよ」
私「!!」「先生もう一度!、お酒は大丈夫なんですか?」
D「普通に大丈夫です」(私、ニヤ~リしつつ、女房の顔を確認!)
(まだ凝りてないのか、酒は血圧にもよくないだろうが、って声が聞こえそうですが、この先の人生で酒が飲めないなんて・・、と思うとつい安堵のニヤリです)
私「何か気をつけることは?近々飛行機に乗る予定もあるんですが大丈夫でしょうか」
D「問題有りません。そうそう、ジェットコースターみたいにGの掛かるものだけは止めてくださいね、それくらいかな」
D「診断書、書きますよ。自宅療養は必要な分だけ何日でもいいですよ」
私「では3月16日まで1週間でお願いします」
D「??、判りました、それで書いておきます」
後にして思えば、何週間~何ヶ月も書いてもらう人が多いとか。開頭手術だけに職場の理解もあり、それだけ休むとしても通常はOKなのだとか。。。。自分としては大盤振る舞いで1週間って言ったつもりでしたが失敗しました。世間の常識を身に着けてからお願いすべきでした・・・・残念!!

3月9日(金)午前中、退院。
 平日なので女房も来ません。前日にあらかたの私物は車で持って帰ってもらいましたので、残った少々の私物持って、退院。
 退院早々、病院の向かいにあるレストランで「とんかつ定食」、ひさびさの「シャバ飯」は、格別にうまかった!!病院食もまずくはなかったんですが、レストランの油たっぷりカツ、マヨたっぷりポテトサラダ、塩・味噌効いて濃い味の味噌汁、は別世界に旨かった。旨いものは健康に良くない、糖と脂と塩、で出来てるんですね!?
 タクシーにて自宅へ。迎えてくれたのは我が家のアイドル、ヨークシャーテリアの「すんたぽんこ」。久々の再開にお漏らし!しつつ、飛びついてきてくれました。。。
家はイイね。。。。。

一連の顛末を終えて
それにしても、脳の動脈瘤から、ちょろちょろ血液漏れて「警告頭痛」があったのに、それを無視して約2週間、ストレスフルな仕事、出張、酒飲みもある中で、何とか血管が持ちこたえてくれました。そしてMRIで確実に診断して頂き、早期に完璧な開頭オペ、クリッピングをして頂きました。結果、後遺症と思われるような症状も一切なく、生還できたのは、本当に奇跡かもしれません。。。何かに生かされているのかもしれません。。。。ただただ感謝です。

 

ありがとうございました。くも膜下出血の顛末(発見~入院・手術~退院)は以上ですが、次回は、

退院したその後

についてご紹介したいと思います。


マチュピチュの巻に続き、長文失礼しました。最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。

それでは、皆さん、ご健康に。